2021年のおすすめ本

2021年に読んだ本の中で、特に良かったものを紹介します。紹介順は適当です。

 

カントが実際にはどういう人間だったかを資料にもとづいて解説すると共に、彼が晩年に展開した思考の足跡を丁寧に描いた一冊。カントと共に思考を研鑽してきた中島自身の老いと変化を垣間見ることもでき、非常に興味深い構成になっている。哲学者にとっての老いという問題への誘いとしても秀逸。ここからキューンの『カント伝』に進むのか、中島の著書に進むのかは好みが分かれるところだろう。

  • 光井渉『日本の歴史的建造物』、中公新書、2021年2月。

私は近代遺跡の保存に関心を持っているため、タイトルが気になって手に取った一冊である。著者は、日本の歴史的建造物の保存・活用に関する歴史を丁寧に追っている。特に、日本の近代建築はその価値が見出されづらく、安全性・経済性の観点からすぐに解体されてしまう傾向にある、という課題が明確に述べられている点は非常に参考になった。広島に現存する多くの被爆建物は解体の危機にさらされているため、そうした観点からも学ぶところは多いだろう。

ポストモダンの古典として有名な一冊。長らく絶版だったが、このたび復刊したということで目を通した。ポストモダンが「大きな物語への不信」として特徴づけられ、現代社会における知の危機が大学制度の崩壊と重ね合わせられている。改めて読んでみて思ったのは、リオタールによるポストモダンの分析が物語論的な視点からなされているということである。実際に読んだことのある人にとっては常識かもしれないが、私は新鮮な気持ちで読み進めることができた。 

神崎先生のエッセイを中心にした論集。特に後半の「日本哲学史」に関する論考は読み応えがある。晩年の黒田亘が試みたホッブズ論の話は重要な証言の一つだろう。日常生活に潜む諸問題を古代ギリシャ哲学の目線で解釈しつつ、現代哲学にまで繋げる手腕は流石の一言。神崎先生の著作を改めて読み直したいと思った次第である。

  • 千葉雅也・山内朋樹・読書猿・瀬下翔太『ライティングの哲学』、星海社新書、2021年7月。

一般的な文章指南書とは一線を画する、「書くこと」について考えたい人のための一冊。「書くこと」へのこだわりを持った四人が集い、それぞれの思いや日々の実践について「書くことの反省会」を開くという形式の座談会が非常に面白い。規範からの逸脱への許しというテーマが本書全体に通底している。特に、座談会で語られていた規範による束縛と規範からの解放という流れは、一つの映画を見ているような感覚に襲われた。折を見て読み直したい。なお、URLではなくQRコードでウェブサイトの情報を示す方法は「なるほど」と思ったが、単純にスペースをとってしまうという問題があるように思われた。

  • 川添愛『ふだんづかいの言語学』、新潮選書、2021年1月。

本書は、日常のさまざまな事例をもとに、理論言語学の基礎を楽しく学ぶことができる一冊である。本書の構成は、言葉を自然現象として把握した上で、言葉の意味や文法に関して無意識に抱かれる知識を特定し、そうした知識を科学的に分析する方法を提示するという流れになっている。ふだんから日本語の表現や言い回しに違和感や不自然さを感じている人は、本書に収められた練習問題を解きながら、自分でも事例を考えてみることで、言語をより正確でクリアに捉えることができるようになるだろう。

  • 佐藤岳詩『「倫理の問題」とは何か』、光文社新書、2021年4月。

本書は、メタ倫理学の入門書であり、倫理学入門としても優れた一冊である。本書の位置づけとしては、『メタ倫理学入門』を読んで理解が困難に感じられた読者に向けた一冊ということになるだろう。全体的に平易な文章で書かれているため、スラスラと読み進めることができる。また、『メタ倫理学入門』では論じられていなかった様々なトピックへの配慮がなされており、概念工学や認識的不正義といった主題とのかかわりも丁寧に扱われていて、非常に勉強になる。特に、重要性基準・理想像基準・行為基準・見方基準という四つの基準をもとに「倫理」の多様な捉え方を整理しようとする視点はおそらく類例がなく、『メタ倫理学入門』を執筆した著者だからこそなせる業だろう。おすすめの一冊である。

  • 次田瞬、『人間本性を哲学する』、青土社、2021年8月。

本書は、知能・言語・知識を中心として、哲学の観点から人間本性、特に人間の合理性に迫ろうとする刺激的な一冊である。著者が「「人間の心」について考えてみたい人すべてが本書の想定読者である」と述べているように、本書はトピックに関連する情報を丁寧に説明しており、論理学や統計学の基礎知識さえあれば高度な予備知識をもつことなく読み進めることができるようになっている。丁寧に議論を追っていけば、人間本性について自分で考えるために必要な知識が自然と身に付いていることだろう。これまで日本では十分に紹介されていなかった議論も適切に整理されており、全体として非常に勉強になる。特に、第4章はア・プリオリをめぐるボゴシアンとウィリアムソンの議論を手際よく整理しており、Debating the A Prioriを読むときの手引きとして最適であると思われる。哲学を専門とする者はもちろんのこと、そうでない者にも自信をもって薦めることのできる一冊である。

本書は、ヨーロッパとラテンアメリカを中心としたポピュリズムの理論的説明を通じて、民主主義に内在する矛盾としてのポピュリズムという問題提起を行う新書である。第1章では、ポピュリズムの「リーダーの政治戦略・手法」と「反エリート的政治運動」という二つの顔が確認され、孤立化・非正統化・適応・社会化という処方箋はどれも最善ではない点が述べられる。第2章以降は、ラテンアメリカとヨーロッパにおけるポピュリズムの具体的展開が丁寧に説明される。最終章では、現代ポピュリズムがリベラルデモクラシーと親和性が高く、持続性をもち、既成政治の改革と再活性化という効果をもつ、という知見が提示されている。参考文献表も充実しており、ポピュリズムに関心をもつ人は必読の一冊である。

  • 源河亨、『感情の哲学入門講義』、慶應義塾大学出版会、2021年1月。

バランスのとれた一冊。感情の哲学について一から学ぶことができるだけでなく、感情に関する科学的研究の一端にも触れることができる。講義用資料がもとになっているため、文章は平易で読みやすい。哲学の諸学者が躓きやすいポイントを適宜おさえており、教科書にも指定しやすい内容となっている。

類例のないハイデガー哲学への入門書。『存在と時間』へのよくある誤解を払拭しつつ、わかりやすい語り口でハイデガーの難解なテキストを紐解いている。しかし、本書は単なる解説書にとどまらず、哲学の中心的な「問い」を提示しながら思考する筋道を示しており、随所に著者自身のアイデアや視点を垣間見ることができる。『存在と時間』に挑戦してみたが何も分からなかった人や、ハイデガーの入門書を読んでもしっくりこなかった人におすすめの一冊である。

  • 古田徹也、『いつもの言葉を哲学する』、朝日新書、2021年12月。

本書を読み終えて、「そんな細かいことを気にして生きている人なんていないよ」という感想を持つこともあるかもしれない。自分が日常生活でどのような言葉を使い、どのような言葉に影響を受け、どのような言葉を相手に向けているか。そうしたことを意識すること自体、何か不自然に思われて仕方がないのかもしれないし、何よりも生きていく上で引っかかりを生じさせることに抵抗を覚えるのかもしれない。そのこと自体は間違っていない。

だが、日常の何気ない生活の中で引っかかりを覚えることも、一つの生き方として間違っていない。これは、哲学が示した重要なことの一つである。周りの皆は当たり前だと言っているが、これは本当に正しいことなのだろうか。テレビやインターネットでは正しい表現として共有されているが、間違ってはいないだろうか。こうした引っかかりを言語化しながら本書の言う意味で「批判」することは、哲学・倫理学を専門とする人たちにとっての共通事項であるだろう。このことを改めて示したのは本書の美点の一つである。