2022年のおすすめ本

2022年に読んだ本の中で、特に良かったものを紹介します。紹介順は適当です。

  • 小松原織香(2022)『当事者は嘘をつく』筑摩書房

本書は、修復的司法・修復的正義の研究を専門とする著者が、自身の性暴力の体験から現在に至るまでのライフヒストリーを綴ると共に、被害者と加害者の関係を「正義」と「赦し」の観点から論じた一冊である。前半は、著者自身の加害者との「闘争」に関する内面史が魂をこめて描かれている。中盤から後半にかけては、「赦し」に関するデリダの議論を背景とした、「赦しとは何か」という問いをめぐる哲学的考察が展開される。特に、水俣研究について書かれた後半の記述は、著者が研究者・当事者・支援者の狭間で苦闘してきた有り様が示されており、一読に値する。多くの含蓄に富んだ一冊である。

本書は、現代思想について学びたい人が最初に読むべき一冊である。本書は色々な読みかたが可能であると思うが、何よりも目を引くのは説明の明晰さと親切さの両立である。難解な現代思想を理解するための手順が示されているだけでなく、自分自身で現代思想をつくる方法についても懇切丁寧に説明がなされている。さらには、80年代以降の日本の論壇を著者の観点から総括した一冊としても読めるだろうし、これまでの著者の作品の「舞台裏」を窺い知ることもできるという充実ぶりである。本書は、現代思想に関する日本語で書かれた一つの到達点といっても過言ではないだろう。

  • 磯野真穂(2022)『他者と生きる』集英社

本書は、人類学の観点から、リスク社会を生きる人間のあり方を問いなおし、関係論的人間観を擁護しようと試みた一冊である。「平均人」が集団の客観的特徴を表すと考える統計学的人間観を批判しつつ、木村大治の相互行為論と宮野真生子の偶然論を背景とした関係論的人間観に基づく時間論は非常に興味深い。個人的には、マリリン・ストラザーンと平野啓一郎の分人概念の違い、宮野との対話に基づく変容的経験の強調といった論点は、さらに深掘りする価値があると思った。

  • 丸山文隆(2022)『ハイデッガーの超越論的な思索の研究』左右社

本書は、マルティン・ハイデッガーが『存在と時間』以降に辿った思考の軌跡を精緻に描き、イマニュエル・カントとの対峙をできるだけ彼自身のテキストに即して明確化した稀有な著作である。論述は一貫して明確であり、ハイデッガーの(当時の)思索を追体験することができるようになっているだけでなく、哲学的に重要と思われるさまざまな問題を考えるためのヒントが散りばめられている。ハイデッガーを専門的に研究したい人のみならず、存在論や行為論といった現代的な主題に関心をもつ読者にもぜひ一読を薦めたい。実物を手に取っていただければ分かると思うが、とにかくデザインの美しさが際立っているのでその目で確かめてほしい。

  • 三木那由他(2022)『会話を哲学する』光文社

矢継ぎ早に著作を公刊しておられる三木さんによる新刊。本書の美点は色々と挙げることができるが、何よりもフィクション作品への愛を感じられることに加えて、言語哲学を地に足のついたものにしたいという思いが十全に伝わることにあると思う。本書を手に取る人は、ここから哲学(特に言語哲学)に入門する可能性もあるだろうが、それよりも日常生活の中で行っている会話を反省したり、会話を扱う創作活動に思索を反映したりする可能性が高そうである。

本書は、ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』に関して、できるだけ最新の先行研究を紹介しながら、多くの事例を挙げつつ解説を試みた一冊である。『論考』はすでに多くの解説書が公刊されているが、本書の魅力は著者自身の解釈が強く打ち出されている点に加えて、中級者向けの(つまり、専門的にウィトゲンシュタインを研究しようと志した者に向けた)有用な情報が各所に散りばめられていることである。はじめて『論考』を読んだ者が疑問に思うことは、基本的には著者自身の言葉で答えられているので、ぜひ手元に『論考』の原典を置いて読み進めてみてほしい。

  • ハーマン・カペレン、ジョシュ・ディーバー(2022)『バッド・ランゲージ:悪い言葉の哲学入門』葛谷潤・杉本英太・仲宗根勝仁・中根杏樹・藤川直也訳、勁草書房

本書は、非理想的な言語現象に着目したユニークな入門書である。主流の言語哲学は理想的な状況を想定した分析を試みてきたのに対して、本書では悪口、皮肉、ヘイトスピーチといった「悪い言葉」に焦点を当てた解説を行っている。いわゆる応用言語哲学の最先端を知りたい人にはうってつけの一冊である。飯田隆言語哲学大全』やウィリアム・ライカン『言語哲学』を読んだ上で目を通せば、本書の意義がより分かりやすくなるだろう。

  • ダンカン・プリチャード(2022)『知識とは何だろうか』笠木雅史訳、勁草書房

本書は、現代認識論を本格的に学びたい人が最初に読むべき一冊である。伝統的な認識論の問題だけでなく、教育や法や政治といった現実的な問題との関係についても最先端の知見を得ることができる。練習問題や文献案内も充実しており、認識論に興味はあるがどう学んでよいか分からない人にこそこの本を薦めたい。

本書は、分析フェミニズムについて興味があり、古典的論文を精確な日本語で読みたい人に薦めたい一冊である。元の論文を英語で読んだことがある人にも、詳細な訳注や解説は非常に有益であると思われるので、一度目を通してみてほしい。冒頭のハスランガーの論文は重要ではあるが難解なので、歯が立たないと思ったら以降の論文を読んだ上で再び戻ってきてもいいかもしれない。続刊が予定されているので、それにも期待したい。